海外の格闘技YouTubeにおける“こなれた”英語

前回の続きを書くためにネタを集めている過程で面白いYouTube動画を見つけました。
アメリカ人青年のシェイン君が格闘技のテクニック(小技)を軽快に紹介してくれる動画です。
個人的に彼の動画は結構好きで、前からちょくちょく見ているんですが、今日見た動画の中では特に多くの”こなれた”単語が使われていて、興味深かったのです。

そもそもパンチやキックを「打つ」って英語でなんて言うか皆さんご存知ですか?
実は「hit」でも「strike」でもありません。
答えは「throw(投げる)」です。
こう言うこなれた表現が、この動画には満載でした。
ここでいうこなれたとは、その分野で必要な感覚や考えを、専門用語ではなく日常的な単語で表現することです。

動画のタイトルは「あなたのフェイントが通じない5つの理由」。
で、その理由として「距離が遠すぎ」「相手の注意を引けてない」「無駄な動きが多い」「ためらっちゃう」「相手の動きにひるむ」を挙げています。

ところがここからが面白かったところ。
まず2つめの「相手の注意を引けていない」は、動画の中では「No respect(敬意がない)」と表現されています。
respectの直訳は「尊敬する」ですが、確かにもう少し軽く「一目置く」くらいのニュアンスでも使います。
また最近の格闘技界隈では、向かい合う相手には敬意を払うべいという哲学的・紳士的な考えも認められつつあります。賛否両論ありますが、少なくとも練習では必要な考え方でしょう。
だからここで相手の注意を引くことを、pay attentionではなくrespectという単語であえて表現することは、個人的にとてもしっくりくるものがありました。

また「無駄な動きが多い」は「Overselling」や「Bad sell」などと表現されています。
見ての通りsell(売る)が使われているので、攻撃をする自分が売り手で相手は顧客(市場)だと捉えていることになります。
確かに自分の攻撃が相手に当たるかは元来わからず、仕掛けによって当たる確率を高めていくのが打撃系格闘技です。
なので格闘技におけるやりとりを物の売れ行きに例えることは、なるほどな、という感じです。

ちなみに余談ですが、そもそも基本的なマーケティング理論そのものが「戦い」に由来しています。
第二次大戦の終結後のアメリカで、職がなくなった戦略系の将校が、企業に入った後に軍隊の発想を応用して広まった、という経緯があるためです。
例えば戦争でもないのに経営「戦略(Strategy)」という単語を使うのはその好例だと言われています。
私が格闘技と経営とに共通点が多いと言っているのは、こういうところにも要因があります。

話を戻して、最後の「相手の動きにひるむ」の項目。ここでは「Flinch or Bait」という表現が使われています。
Flinchはまさに「ひるむ」で、この項目以外でも動画の中で頻繁に出てくる単語です。これはそのままの意味。しかし一方のBaitは「餌」という意味です。
要するに相手の動きに後から対応するのではなく誘って打たせろと言ってるのがこの項目なのですが、それを「餌」と表現しているんですね。
恐らく釣りをイメージしているのだと思います。餌を仕掛けて、そこに食いついた相手を仕留める、という部分に共通の感覚を見出しているのでしょう。
日本語で言うとこれは「布石」ですが、どうも最近はそれを「撒き餌」と言う人も増えているようです。
もしかしたら外国人コーチから聞いたこの表現を、最近の日本人が借りているのかもしれません。

ここまで紹介してきた表現は、単語自体が新しいわけではないところが面白いところです。
その単語の本質的な意味を押さえた上で、使い方や使うシーンを拡張しているというわけです。
このようなまさに”こなれた”表現を、使えるか、わかるか、作れるか。
かつて語学を志した者としては、そういう意味での言葉のセンスがある人を羨ましく思います。

そして同時に、ある程度の経験者でも割と役立つような本格的なテクニックがこうして動画で広く配信されているあたりに、格闘技というスポーツそのものの成熟度と時代の変化も感じました。
そのあたりは次回、格闘技とメジャースポーツのくだりでも触れていきたいと思います。

※前回からまた文体が変わってる(だ・である→です・ます)ことに今気づきました。
 要するに「気分」なので、あまり気にしないで下さい笑

格闘技はメジャースポーツを目指すべきなのか?①

だいぶ間が空いてしまったし、前回予告したことととも全然違うのだけど、今日はこのテーマについて考えてみたいと思う。
格闘技選手の多くが以前から「格闘技をメジャーにしたい」と言っているからだ。
メジャーにしたいと言っているということは、現状はメジャーではないということになる。
ではメジャースポーツとはそもそも何なのだろうか。どうやったらなれるのか。なぜメジャースポーツを目指すのだろうか。格闘技というスポーツは本当にメジャーを目指した方がいいのだろうか。そんなことを考えたい。

全3回を予定しているうちの初回に当たる今回は「メジャースポーツって何?」「どうなったらメジャースポーツになれるの?」ということから考えたい。

メジャースポーツとは?

メジャースポーツという言葉の定義ははっきり言ってない。
それでも道行く人にメジャースポーツとは何かと尋ねれば、恐らく「野球とサッカー」という回答が多いだろう。
一見それで議論終了のようにも思えるが、しかし例えばアメリカでこれを訊けばほぼ間違いなく“4大スポーツ”が回答される。彼らの言う4大スポーツとは、野球・アメフト・バスケットボール・アイスホッケーだ。
またインドで同じ問いをすれば確実にクリケットが入ってくる。
逆に外国人から日本人に対しては「あれ?日本なら相撲じゃないの?」と訊かれることもあるだろう。
従って「メジャースポーツとは何か?」という問いの答えは、特定の種目ではなく、地域を区切った上で何らかの条件を満たすものだと考えられる。

で、上述のメジャースポーツに共通する点をやや強引にピックアップすると「収入が大きいこと」「競技人口が多くて広いこと」「認知度が高いこと」の3点が浮き上がってくる。
例えば先に挙がった相撲は認知度も高く収入も高いが、競技人口の面で他のスポーツに劣る。またマラソンは認知度も高いし競技人口でも申し分ないが、選手の収入は決して高くない。よっていずれもメジャースポーツではないと言える。
この3要素で論じることが正しいか、客観的に検証のしようはないが、皆さんの感覚とは概ね合うのではないかと思う。

格闘技選手はなぜメジャースポーツ化を口にするのか?

ではそのメジャースポーツになると何が良いのだろうか?何が競技者を「自分のスポーツをメジャーにしたい」と思わせるのだろうか?
これを考える上では「マズローの欲求階層」を参照したい。

マズローの欲求階層とは、アメリカの心理学者マズローが提唱した考え方で、人間は絶えず成長(今より良くなりたいと思うこと)を求めているという仮定のもと、その欲求には種類と段階がある、というものだ。
簡単に言うと以下の5種類があり、①→⑤の順に充足を求める、という考え方だ。;
①生理的欲求:とにかく生き延びたい。衣食住に困らないようになりたい。
②安全の欲求:安全に暮らしたい。衣食住を高いレベルで満たしたい。
③社会的欲求:何かに所属したい。生きていく仲間がほしい。
④承認欲求:他者に認められたい。特に所属している組織の中で認められたい。
⑤自己実現欲求:自分だけがやれることを見つけて実行したい。

マズローの欲求5段階説とは?各欲求を満たす心理学的アプローチを用いたサービス事例【図あり】|ferret
出展:https://ferret-plus.com/5369

この考え方に先程のメジャースポーツの条件を当てはめると、収入が高いことは①・②に該当するし、競技人口が多い/広いことは③に該当する。認知度が高いことは④に当たるだろう。
つまり、ある格闘技選手が「自分の競技をメジャースポーツにしたい」と考えることは、実は何も特別なことではなく、その競技で生きていきたいと考えたら自然と出てくる発想に他ならない。
何も高尚な考えからくるものではなく、人間が皆持っている欲求が普通に出てきた結果に過ぎないのだ。

メジャースポーツ化は難しい

となると、格闘技選手の多くがメジャースポーツになりたいと言っているのは、表面的には志だポリシーだと綺麗なモチベーションを語っているかもしれないが、根本的にはシンプルにメジャースポーツになるのが難しいからと考えられる。
そんなに難しいことなのだろうか?

ここでは先に上げたメジャースポーツの3要件のうち、まず「競技人口が多くて広いこと」や「認知度が高いこと」から先に考えたい。この2点については、格闘技というジャンル自体はさほどディスアドバンテージを抱えていないのではないかと思うからだ。
かつてのK-1・PRIDEの隆盛や大晦日格闘技の定着のおかげもあって、格闘技というジャンル自体には一定の認知度がある。もちろんボクシング・キック・MMA(総合)・プロレスなどがないまぜになってしまっている人も多いが、ここは大枠のジャンルとして知られているだけで御の字と考えるべきだろう。野球だってルールをきちんとわかっていない人は多い。
また競技人口についても、野球やサッカーには当然及ぶまいが、柔道やボクシングは中学高校の部活として取り入れられている。関東方面ではそれ以外の格闘技ジムも多く存在する。もしあなたが「格闘技やりたいな」と思った時、通える範囲に何かしらの機会はあるだろう。
選手個人の一般認知度にはやや難ありだが、これを獲得するためには日本だと地上波露出が重要になってくる。その点では今RIZINが何とか地上波放送枠を勝ち取っていることや、一部格闘技種目が五輪に採用されていることは、格闘技全体で見れば大きなアドバンテージだ。放送もされないマイナースポーツなどいくらでもあるのだから。

他方、「収入が高いこと」についてはどうだろうか。
一般的なサラリーマンの生涯年収は2~3億円と言われている。やや強引だがこれを世間一般の基準とすれば、欲求を満たすにはせめてこれと同額の生涯年収が欲しいということになる。承認欲求も踏まえて考えればそれを上回る収入があるのが理想的だ。
この時、サラリーマンが仮に20歳から65歳まで46年間務めるとしたら、生涯年収で2.5億円を稼ぐために必要な年収は単純計算で543万円だ。だがスポーツ選手は45年も務まらない。仮に19歳でプロデビューして38歳で引退するのが典型的なスポーツ選手だとすると、その本業だけで生涯年収2.5億円を稼ぐためには1,250万円の年収が必要になる。世間一般を上回ろうとするなら1,500~2,000万円は欲しいところではないだろうか。デビュー初年から。
マイナースポーツ従事者はこの水準がいかに難しいかすぐにわかると思うが、実際にはメジャースポーツでも厳しい現実が待っている。プロ野球選手の平均年俸は4,189万円(2020年)、サッカーJ1選手は3,446万円(2019年)なので、一見十分満たしているようにも思えるが、中央値を見るとプロ野球で1,500万円程度、サッカーJ1で1,800万円程度とのこと。つまり約半数の選手が、プロスポーツ選手らしい=世間一般の水準を超えた生涯年収を稼げるレベルに至っていないことになる。
もちろんスポーツ選手とて年収は基本的に年齢に伴って上がっていくだろうから、平均値や中央値で一概に語るのは適当でないとは思う。ただそれでも「世間一般水準よりも稼ぐことはメジャースポーツであっても難しい」ということは言っていいだろう。サッカーJ2選手の平均年収は400万円程度と言われている。

というわけで、格闘技がメジャースポーツになる上で最大の課題は収入面ということになる。
むしろ競技人口や認知度が比較的満たされていることは、「あと一歩!」という心理も生むだろうし、マズローに照らして考えれば下位の欲求よりも上位の欲求の方が満たされているアンバランスな状態なのでコンプレックスも生まれるだろう。収入面での充実が余計に問われる構図だ。
だが既述の通りこの収入面での課題はかなりハードルが高い。メジャースポーツでも厳しい現実が垣間見える水準のクリアを格闘技が目指すのは、果たして正しいのだろうか?合理的なのだろうか?

みんなどうしてるの?(→次回に続く)

メジャースポーツになるためには収入面でのハードルが非常に高いことがわかった。
だがここで1つの疑問が浮かぶ。では格闘技以外のマイナースポーツの人はみんな食えていないのだろうか?ということだ。

もちろんそんなことはない。マイナースポーツの選手でもきちんと収入を確保している人は多い。
またこれはスポーツに限らず、演劇や音楽などいわゆる芸事に携わっている人も似たような状況に置かれている。その業界でのメジャーになっていなくても収入や生活を確保している人はいる。

というわけで次回は、格闘技やそれ以外のスポーツや芸事に携わる人や組織が、収入源や生活水準の確保のためにとっている仕組みについて、いくつか事例を挙げてみたい。

今日はここまで。ご閲読ありがとうございました。次回に続きます。

格闘家のYouTube進出に見るイノベーション創出

格闘家のYouTube進出が止まらない。ここ半年ほどで実に多くの国内選手がこぞってYouTubeデビューを果たし、それぞれのテクニックや日常などを投稿するようになった。
実際のところこれは格闘技に限った話ではなくスポーツ界、特にマイナースポーツ全般に共通して言える。コロナ禍によって時間が余ってしまったことや収入源の途絶が後押ししたことは明らかだ。

ところがこのYouTube、本業によって知名度が高い人でも、それを以てエスカレーター式に成功できるかというと、そうでもなさそうだ。YouTubeで人気を獲得するには、何か違うアプローチが必要なのだ。
今回はこの格闘家のYouTube進出について、現状を確認しつつ、戦略を考えていきたい。

YouTubeでの「成功」とは?

スポーツ選手のYouTube進出の目的は基本的に副収入の獲得だが、YouTubeの報酬形態は単純なようで複雑だ。概説すると広告の表示回数やスーパーチャット(投げ銭)の総額ということになるが、詳細は公開されていないし、バイトの時給のような比例計算でもないようだ。従ってYouTubeで得られる収入は、直接的に定量化できないので、客観的に成否を測る指数に使うことは難しい。

なのでここではYouTubeでの成功をチャンネル登録者数で測りたい。
動画の再生回数という指標もあるのだが、これだとと古参YouTuberの方が投稿動画の数が多さから新参よりも有利になり、土俵が不平等な比較になる。チャンネル登録者数であってもそのバイアスは働くが、いくぶんマイルドだろうし、単に動画を見るよりも一歩進んだアクション(登録)の数という性質を鑑みても、この数字で議論する方が実態に近いだろう。

格闘家のYouTube進出の現状

「格闘技」にタグ付けされているYouTubeチャンネルから、登録者数の多い順(2020年5月時点)に25個ピックアップしたものが下表である。
ここからわかることはシンプルで、「朝倉未来(あさくら みくる)」の突出である。

朝倉未来は日本の格闘技プロモーション『RIZIN』を主戦場にする総合格闘家だ。一目してわかる通り1人だけ100万人を軽く超えている。第二位の「KAI Channel」は朝倉未来の実弟・朝倉海(かい)のチャンネルだが、実にダブルスコアだ。また更に下位にあるチャンネルを見ると選手個人はおろかプロモーション(団体)や企業のチャンネルすらも押さえつけての堂々1位。まさに圧倒的な強さと言える。

朝倉未来のチャンネルの強さは格闘技の枠に留まらない。サッカーや野球を含めたより広範の「スポーツ」というタグ付けで順位を見ても、直下にいるJリーグ公式チャンネルをやはりダブルスコア(54.9万人)で押さえて堂々1位。ちなみに個人チャンネルで朝倉未来に続くのはダルビッシュ有の49.5万人だ。

更に驚くべきことに朝倉未来には「サブチャンネル」が存在する。サブチャンネルとは自身の本来のチャンネルとはやや嗜好の違う動画を投稿するためにもう1つアカウントを設けて開設するチャンネルのことで、朝倉未来の場合は加工度がやや低く緩い雰囲気の動画を投稿している。そのサブチャンネル「ふわっとmikuruチャンネル」にすら20.8万人の登録者数がいるのが朝倉未来なのだ。

従って格闘家のYouTube進出の成功のキイは、突出した強さを誇る朝倉未来のパフォーマンスを分析することで見えてくる。

朝倉未来がやっていること

朝倉未来の名をYouTube界で一気に押し上げたのは「喧嘩自慢との対決」シリーズだ。街の喧嘩自慢に自ら声をかけ対戦を求め、まず本当に来るか、来たらどのくらい強いのか、身を以て体験しようというものだ。街でたむろする“活きの良さそうな”少年たちにまるでスターバックスにでも入るかのようなカジュアルさで声をかけ、本当に集めて戦ってしまうというヤンキー漫画顔負けの展開に、多くの視聴者が反応した。
また全般的によく見られるのがいわゆる「ドッキリ企画」だ。自分の周囲と示し合わせて朝倉未来自身や周囲の人を驚かせ、その反応を見るというものだ。その中には自身のアンチを呼んでその眼前に現れるなど、肝の据わったものも含まれている。
そして現在最も視聴回数が多いのは「シバターをガチでシバく」という動画だ。これは人気YouTuberシバターとのコラボ企画で、シバターから対戦を申し込まれた朝倉が、文字どおり殴り倒すという内容だ。

この内容からわかることは、朝倉未来の動画が「典型的なYouTuberの手法を踏襲」していることだ。
いわゆる「やってみた」系の動画は人気YouTuberの動画のまさに典型だし、多くの人にとって「やったことがないのでどうなるのか知りたい」と思わせる適度なテーマ設定もYouTube動画の定石だ。ドッキリ企画などはYouTuberの常套手段だし、コラボ企画はYouTubeに限らず顧客層の拡大のためによくやられる手法である。

つまり朝倉未来のやっていることは、一見するとニュータイプの若者が革新的な発想と行動力で新しい可能性を切り拓いたかのように見えるが、本質的にはそこに突飛さはなく、前例のある典型的手法をフォローしているに過ぎない。

イノベーション=「新結合」

このように言うとあたかも朝倉未来が実は二番煎じのつまらない奴のように聞こえるかも知れないが、そこは明確に否定したい。なぜなら、これこそがイノベーションだからだ。

イノベーションという言葉は日本では多くの場合「技術革新」と訳され、世界の常識が一変するような新技術の登場を想像しがちだ。古くは火薬や羅針盤、少し前だと内燃機関やインターネット、いま可能性があるものならiPS細胞とか、そんなところだろうか。
しかし、イノベーションという言葉を唱え始めた経済学者のヨゼフ・シュンペーター(1883-1950)は、このイノベーションについて、必ずしも新しい科学的発見に基づく必要はないとしつつ、その本質を「新結合」と述べている。
曰くイノベーションとは“新しい組合せ(英訳:New Combination → 新結合)”によって生まれるもので、その対象は製品や技術のみならず販路・調達・人事など多岐にわたり、最終的に市場(消費者)にとって目新しい価値をもたらすものであれば良い、としている。シュンペーターはこのイノベーションを経済活動の原動力と位置付け、断続的に起きることを奨励した。

この考え方は日本のタピオカブームに当てはめるとわかりやすい。2019年に若者の間でタピオカがブームになったが、30代以上の多くの人にとってタピオカは「今更?」と思うほど新鮮味のない過去の商品だったはずだ。それが不死鳥の如く再度ブームを巻き起こしたのは、SNSとの新結合に他ならない。タピオカという既存中の既存製品と、SNSという(比較的新しくはあるが)既存の販路とが結合したことで、新しい経済活動を生んだ=イノベーションを起こした。
「何の技術革新も起きていないが、こういうのがイノベーションなんだよ」シュンペーターが生きていたらきっとそう言ったことだろう。

この観点で朝倉未来のチャンネルを見ると、「格闘家」としてのブランドや能力を「動画視聴者(非格闘技ファン)」という市場と組み合わせている。立派なイノベーションである。YouTubeにとって典型的なアプローチで攻めたからこそ発揮された新結合であり、二番煎じなどと誹りを受けるものでは決してない。

市場拡大マトリクスに見る朝倉未来の合理性

朝倉未来のYouTube進出について、既存の概念同士を組み合わせたというコンテンツ面での合理性は説明した。ではその“売り方”、つまり戦略はどうだろうか。ここではそれを「アンゾフの市場拡大マトリクス」に照らして考えたい。

アンゾフの市場拡大マトリクスは、事業を「製品」と「市場」の2軸で区切り、それぞれの象限で活動することの意味を明示したものである。

詳細は割愛するが、前提としてこれは既存事業を足場に事業を拡大するアプローチを念頭に置いている。また各象限での事業活動に戦略としての優劣があるものではない。唯一右下の「多角化」は、新しいことづくめなので難易度が高いとされているが、だからといって「止めろ」とはアンゾフは言っていない。各象限の意味を把握した上で、事業の実情に合わせて個別に判断しろということだ。

次に、格闘技界から見た市場観をアンゾフ・マトリクスに落と込んだものを見てみたい。この時の主語は「格闘技の試合(ファイトマネー)や指導での収入を主にしている人(選手)」と考えて欲しい。

ここで重要なポイントは「格闘技の既存市場は小さい」ことだ。格闘技はマイナースポーツであり、野球やサッカーと比べると世間一般の関心は低い。つまりファンが少ない。従って市場規模が大きくない。
その前提でマトリクスを俯瞰すると、まず朝倉兄弟以外の多くの格闘家が、規模が小さいはずの既存市場向けで活動していることがわかる。格闘家のYouTubeでよく見られるのは技術解説、試合の振返り、減量の工夫などだが、アンゾフ・マトリクスに照らして考えれば、どれも「戦い」の範疇の商品を、格闘技好き(せいぜいスポーツ好き)な顧客層に向けて発信している。まさにマトリクスの左上「市場浸透」だ。また一部では日常風景やフィットネスへの応用、格闘技術を使ったおもしろ動画なども見られるが、積極的に他市場を狙ったものとは言い難い。位置づけとしては右上「新製品投入」だろう。
これらの戦略自体が悪いとは言わないが、格闘技の場合はとにかく市場が小さいことを考えるべきだ。例えば競技人口が多い陸上競技の場合、桐生祥秀(100mで日本人初の9秒台を達成)のチャンネルは、市場浸透路線の動画しかほぼ投稿していないのに登録者数は6万人近い。同路線の為末大(400mH世界陸上メダリスト)も開設わずか1週間で登録者数が8000人を超えた。このような競技人口による“地力”は、残念ながら格闘技にはない。従ってYouTubeで大きく成功するためには下段の象限、即ち新市場に打って出るのが合理的だ。

だがこの下段=新市場への進出は冒険要素が大きいハイリスクな選択だ。とりわけ右下の「新製品×新市場」については、それをYouTube上で実施することは至難の業だろう。よって新市場で成功しようとすれば、狙い目は「既存製品×新市場」、すなわち格闘家としてのブランドや能力を、格闘技ファンではない一般的なYouTube視聴者に持ち込むことが必要になる。

ではその新市場での事業を極力スムーズに運ぶ方法はないだろうか。その方法の1つが、自身の製品をその市場の既存製品に似せることだ。既存のYouTube人気動画と似たような作り・企画の動画にすることで、一般的なYouTube視聴者は「いつも見ているカテゴリへのニューカマー」と見なすのだ。郷に入りては郷に従え。

おわかりかと思うがこれは朝倉未来がまさに実践していることだ。
実際朝倉未来は自身の著書の中でも「YouTube進出時には多くの人気YouTuberの動画を見て傾向を分析した」と言っている。やはり意識的に既存製品に似せていたのだ。彼がそれをこのアンゾフ・マトリクスを用いて考えたかどうかは不明だが、合理的な戦略だったと言えるだろう。

ちなみに「戦略(Strategy)」という単語は今や当然のように経営の世界で使われているが、言うまでもなく本来は軍事用語だ。そしてそれを最初に経営の世界に持ち込んだのがアンゾフ(1918-2002)だったりする。
戦いの世界からビジネスにやってきた朝倉未来のことを、同じく戦いの世界から用語を流用したアンゾフのフレームワークで分析するというのは、なかなか感慨深い。

朝倉未来の踏襲ではもう通用しない

朝倉未来の着眼や戦略は優れていた。では朝倉未来と同じ切り口で同じような動画を投稿すれば、同様にYouTubeで成功できるのだろうか。

答えはNoだ。それこそ二番煎じだからだ。

さっき朝倉未来のアプローチは二番煎じではないと言ったじゃないか、と言われそうだが、ここは一度イノベーションの定義に立ち戻って欲しい。イノベーションとは市場(消費者)に新しい価値を提供するだ。既にある価値を同じ市場で展開することはイノベーションではない。
またこれには実例もある。朝倉未来の実弟・海のKAI Channelは、未来自身が「レクチャーした」と豪語するだけあって動画の路線がかなり似ている。にも拘わらず登録者数が未来の半分以下である。かなり高いクオリティのものであっても半分以下なのだから、ここに更に同路線で攻め込んでも大した成功は見込めない。「朝倉兄弟みたいなやつのパチモンでしょ?」と辟易されるのがオチだ。
唯一、もしこの市場(一般的なYouTube視聴者)が今も大きく伸びていて、朝倉未来による供給が需要を満たしていない(更新がとても遅い、アクセス集中して見れない等)場合は、二番煎じであっても価値がある。多少質が悪くても満たされていない需要がそれに食いつくからだ。だが現状そうなっていないのは言うまでもない。

従ってこれからYouTubeで成功したい格闘家には、朝倉未来と“似て非なる戦略”が求められる。

これからの格闘家YouTuberは何をすれば良いか

では似て非なる戦略とは何だろうか。そこには無限の考え方があると思うが、個人的には朝倉未来のチャンネル登録者の顧客層が突破口になるように思う。
朝倉未来は自身の著書やインタビューでしばしば「登録者の9割以上が男性」と述べている。従って女性市場はほとんど取り込めていない。ということは格闘技による女性市場への訴求は未着手の狙い目である可能性があるのだ。

一方で女性に人気があるYouTube動画カテゴリは「料理」と「メイク」と言われている。となると、

「格闘家が教える、絶対に太らない減量スイーツの作り方!」
「女子格闘家が、試合中の汗でも崩れなかった鉄壁メイク教えます!」

こういった動画なんかは可能性があるのではないだろうか。

いずれにせよ朝倉未来の成功要因は;

  • 格闘家or自分という選手だからできることを
  • YouTubeでウケる形に組み替えて
  • 格闘技ファン以外に刺さるように発信する

この3つを脳裏に“ピン留め”した上で考えれば、色々なアイデアが出てくるのではないだろうか。

終)格闘技に新結合を

今回は、イノベーションは既存要素の組み合わせであること、格闘技界においては既存製品を新市場に持ち込むのが有効であること、その好例が朝倉未来であること、を述べてきた。

何度も言うように格闘技界は狭い。選手はみんな徹底した勝負の世界に身を置いて壮絶なトレーニングをしている稀有な人たちなだけに、狭い業界で世界が完結してしまうことは色々と勿体ない。ぜひ朝倉未来のように、さりとて二番煎じではない方法で、イノベーションを生み出せる選手や団体が今後増えて欲しいと思ってやまない。

格闘技を死ぬほど頑張った人が、格闘技以外の場所で大きく評価されることは、結構幸せなことだと思うから。

ちなみに、そう考えると私のブログ記事も格闘技と経営理論の新結合ということになるが、残念ながらそこに価値があるかはまだ不明。だから一連の投稿にはあまり戦略性を求めないで頂ければありがたい。
気長にやっているので、もし何か経済的価値を見出した方がいたら、連絡下さい笑

次回更新は6月10日頃、
『ある柔術家によって国籍への考え方を思い直した話(仮題)』
を予定しています。

カーフキックで考える「あなたの部下がなぜ『できない』のか」

きちんと説明した。ちゃんと教えた。なのになぜアイツはできないんだ?部下や後輩、同僚にそう苛立つことはないだろうか。
私はたまたま会社の中でも厳しいとされる部門にいて、その手の苛立ち・嘆息・ご指導を上司や先輩からまるで滝行のように浴びさせられる若手時代を過ごした。愛のムチと言えば聞こえはいいが、そのせいで私の前後10年の年次で先輩後輩がいなくなったのだから笑えない。
しかしその滝行の中でも私はずっと「仕事ができる・できないの前に、上司と話が噛み合っていないんだが」と感じていて、それが後のMBA進学や研究課題に繋がっていった。
そもそも私は十代の頃、学校で劣等生ポジションにいたり、道場で子供を指導する立場だったりした経験から「できない人をできるようにする」ことに元来興味があった。
そうした体験や経験が混ぜ合わさり、お陰様で今ではこの手の問題には自分なりに整理がついている。
今回はひとつ、思いついた例を使って考えをまとめてみたいと思う。

「カーフキック」できますか?

質問。
「あなたはカーフキックをできますか?
 2018年くらいから流行し始めたやつ。ありますよね。
 あれ、できますか?」

何のこっちゃと思われたかも知れないが、今回の話のスタートはここだ。
まずはあなたの実情に沿って、この問いかけに対する答えを考えてみて欲しい。

回答パターンX:「はい、できます」

1つ目の回答パターンは、できます、つまりYESと答えるもの。
いきなりで申し訳ないがこのパターンの人は今回その声を飲み込んで読み進めて欲しい。
この記事は「できない」人をどう教育するかというものなので…。
そしてこんなマニアックな技ができてこの記事を読んでいる人は、この先の話にも納得ができると思う。

回答パターンA:「か、かーふきっく…?なんですかそれ?」

気を取り直して。
カーフキックが何なのか知らない。これを読んでいる多くの人がこれに該当するのではないだろうか。
知らないからできない。できるも何もない。わからない。これがパターンAだ。

少し掘り下げると、ここには「知らないことは調べない」という原則が働いている。
カーフキックを知りもしなければ、それが何かを調べることはできない。無論やり方も調べられない。努力やセンスの問題ではなく、不可能なのだ。
従って、パターンAの人にいる人が自力で正解まで到達することは、まず無理だと思っていい。

回答パターンB:「蹴り方を知らないので、できません」

ではここでカーフキックが何なのかだけ説明を加えたい。
カーフキック(Calf Kick)とは格闘技の技の1つで、ふくらはぎを狙う蹴りのことを言う。主に相手のフットワークを殺すために用いる。
同じ目的では太ももを蹴るローキックが一般的だが、太ももより筋肉が少なくダメージ蓄積が早いふくらはぎを狙うことで、効率的にフットワークを殺そうという主旨の技だ。

さぁこれでカーフキックが何かはわかった。
じゃあ、カーフキック、もうできますね?

ところが多くの人はまだ「できない」と言うはずだ。なぜなのか。
多くの人がこう主張するだろう。「蹴り方を知らないからできません」。
これがパターンBだ。
要するに、その行為を知ってはいるが技術的にできない、ということだ。
「やったことないからできません」「あまり練習したことがないからできません」も同義と言える。

パターンBはパターンAよもり状況はシンプルだ。
目指すべき形はわかっているので、技術の習得に励めばいい。
この角度で、どこの部位を、どのくらいの速さで当てて…といった具合にトレーニングをすればいい。

回答パターンC:「気が進まないので、できません」

ところがそれでもカーフキックは全ての格闘技選手ができるわけではない。
カーフキックが何かもわかっているし、技術も習得していても、できない。それがパターンCの「心理的に気が進まないのでやりたくない」だ。
なんだそれ?と思われるかも知れないが、「実戦(試合)では」という枕詞が付くとピンとくるのではないだろうか。

「以前実戦で試してみたらドンピシャでカウンターを喰らってしまったので、自分に合わない気がしている」
「自分が得意としている間合いや技術とは相性が悪いと思う」
「(試合だとして)今回の対戦相手を崩すのに有効とは思えない」
こういった考えから、自分にはできないと判断してしまうのだ。

このように言うと自身の能力を過小評価している状態を想像しがちだが、自分の意思で不要と判断している場合も含まれている(むしろこちらの方が多い)、と考えて欲しい。

「できない」には「知識」「スキル」「マインド」の3要因がある

ここまでで何が言いたかったかと言うと、「できない」という状態には3パターンの要因があるということだ。
パターンが違うということは、その根底にある問題も違う。

  • パターンA:知らないからできない → 知識の問題
  • パターンB:技術的にできない → スキルの問題
  • パターンC:やる気が無い、不要と思っている → マインドの問題

そして冒頭の話に戻る。なぜちゃんと教えているのにいつまでもできないままの人がいるのか。
答えは簡単だ。「できない」ことの原因のパターンと、それに対する教え方のパターンが、食い違っているからだ。

先程のカーフキックの例を使うとこういうことだ。;

  • カーフキック自体を知らないのに、カーフキックがいかに有効かを説かれる(A⇔C)。
  • カーフキックを打つ身体の動かし方を知りたいのに、カーフキックとは何かを語られる(B⇔A)。
  • カーフキックを使わない自分なりの理由があるのに、威力のあるカーフキックの打ち方を教えられる(C⇔B)。

これでは受け手の問題は解消されないので、教える側の熱量もむなしく事態は進展しない。結果、受け手はいつまでたっても「できない」ままになってしまう。

なにも格闘技に限らない。むしろ仕事の現場の方がこういったことが多く起きているのではないか。

  • 作業の存在自体を知らなかったのに「周囲を見てよく考えていないからできないのだ」と怒られる(A⇔C)。
  • その作業の意味を知りたいのに「従前の通りやれば問題は起きないから」とマニュアルを渡される(C⇔B)。
  • 作業のやり方を知りたいのに、作業の結果がどう役に立つかを説明される(B⇔C)。

なぜわざわざ分類せねばならないのか

ここまでで述べた「できない要因を分類する」という考え方はなぜ一般的でないのだろうか。なぜ着目されずにきているのだろうか。少し考えたい。

考えられる原因の1つは、そんな分類をしなくても育ってきた人が今までいたことだ。
パターンが食い違うアドバイスを受けたとしても、受け手によってはそこから自分の問題に役立つように読み替えることができる。“咀嚼”と言えばわかりやすいだろうか。
しかしこの咀嚼ができるのは能力が高い受け手に限られる。大半の人はうまく出来なかったり、そもそも咀嚼するという発想がないので丸呑みして消化不良を起こすのが普通だ。
だが事実として少数の優秀者は咀嚼ができ、思惑通りに育つ。そのため教える側は往々にして「俺の言うことはうまく咀嚼すればわかる。その咀嚼は受け手の仕事」と割り切る立場をとる。結果、できない要因を深掘りするという逆ベクトルの考え方は劣後とされてきた。というわけだ。

もう1つの原因として、「考えさせる」を重視しがちな日本の価値観の影響も考えられる。
確かに世の中には自分の疑問に直接答える情報を得られないことも多い。そのためか日本では「自力で解決策を模索できるようになれ」という教育的な意図のもと、あえて断片的なアドバイスをして考えさせるケースがままあるように思う。
何にでも「道」としての価値を見出したがる日本人の性、とも言えるかもしれない。

だがこれらはいずれも、今の日本で最適解となることは少ないように思う。理由は単純で、今の日本は人口が減少傾向にあり、人材の取り合いになっているからだ。
咀嚼を受け手に求めることや「考えさせる」ことは、学習として難易度が高い。よって脱落者が出る可能性が上がる。しかしここで「多くの候補者の中から優秀な人材を選抜する」という思想や仕組みをとれば、それでも思惑通りに育った人材を得られる。その後ろには大量の屍があるのだが、とにかく人材獲得はできる。人口も業績も右肩上がりの時はこの考え方が合理的だ。それこそ高度経済成長期のように。
だが今はそうではない。これから人口が減少するのは明白だし、優秀な人材の流出機会も増えている。環境が変わったのだ。現代日本の企業や組織は「多くの候補から優秀者を選抜する」から「どんな人材でも速やかに一定レベルまで到達させる」へと考え方をシフトチェンジせねばならない。だからわざわざ「できない」をパターン化して分析するという手間をかけて、人材の収率を上げることが必要なのだ。

どうすれば「できる」ようになるのか

冒頭の問に再び戻りたい。きちんと説明しているはずなのにいつまで経ってもできない。そんな人をどうやって「できる」ようにするのか。
その答えは、実はここまででもう半分くらい出ている。

まず最初は「要因に3パターンあることを認識する」である。
この記事を読むまで、そもそもパターンがあること自体考えたこともなかった人が大半ではないだろうか。
3パターンあることを認識することで、見える景色が変わる。これを感じて欲しい。「なんでこいつはできないんだ?」から「こいつ、どれだ?」になるはずだ。

次は「パターンに分類する」だ。
具体的なアクションとしてはその人との会話や言動観察を通じて情報を集めて「これかな?」と推定していくことになるのだが、これは頭を使う。「できない」人にもプライドがあるので、知識がなかったとか能力が低いからとかいうイケテナイ情報を自らストレートに吐露することはないからだ。よってここは教える側が読み取らねばならない。複合の場合もあるので注意。
「そこまでしてやらないといけないの?」という声が聞こえてきそうだが、そうだ。そこまでしてやるのだ。こういうアプローチが現代の日本で求られていることを、改めて思い出して欲しい。

そして「パターンに合わせたアドバイスをする」。
パターンが食い違っている例について既述したが、意識しないと往々にしてこうなってしまう。そこを意識的に合わせにいくのだ。
作業自体を知らないならその存在から教える。技術がたりず足を引っ張っているなら補填するスキルを教える。やる気になってくれないなら価値観や判断基準を紐解く。
いずれも、受け手の問題がどのパターンなのかが明瞭なほど、適切なアドバイスが自然と出てくるはずだ。

最後に注意。「教える側は問題を『マインド』に求めがちなので気を付けろ」。
「できる」ようになっている人は知識・スキル・マインドを既に兼ね備えている。だがそのうち知識とスキルはゴールが明確なので、習得者にとってはどんどん新鮮味が失われていく。逆にマインドは人や状況によって変わるので、追求しても色あせない。そのためいざアドバイスする段になると、教える側は往々にしてマインドを中心に話しがちなのだ。咀嚼や「考えさせる」を好む人だとなおさらこの傾向が強くなる。
知識・スキル・マインドの3つには順序も序列もなく対等だ。だから意識的に「問題は知識では?スキルでは?」と問いを巡らせるくらいでちょうどいい。

例えばあなたが以前頼んだ仕事を部下がやっておらず、なぜまだなのか?と訊いた答えが「すみません、失念していました」だったとしよう。
こういう時に「たるんでいるんじゃないのか、気合い入れなおせ」とか言って奮起を促すのがありがちな展開だが、これがダメなやつだ。マインド因だと決めつけているからだ。
部下は「失念していた」という事実こそ述べたが、背景は不明ではないか。もしかしたら、その仕事はさっさとやるべきものだと知らなったのかもしれない。或いは仕事を捌く能力がまだ低いために、パソコンのように処理が“重く”なっているのかもしれない。もしそういことなのだとしたら、気合入れろとムチを入れても効果は知れている。
パンクして走れない車にいくらガソリンを注ぎ込んでも動かない。

終)石とダイヤとカーフキック

以上が私が行きついた「できない人をできるようにする」方法だ。
なにぶん経験則に基づくものなので客観性に欠けるのは否めないが、効果のある考え方であることは自負したい。
私の目から見れば、できない理由と助言とが食い違っているせいで行き詰っている人は本当にたくさんいる。そしてその多くは、教える側が合わせに行くことで本当に素早く解消する。
これを読んでいる人が今後「できない」人に出会った時、この記事のことを思い出してくれたらうれしい。こいつホントつかえねーなと思ったら、カーフキックだ。

最後に、武道家でありながら人材の教育や育成に熱心だったとされる少林寺拳法の開祖・宗道臣の言葉を紹介して終わりにしたい。

「世の中にダイヤの原石は少ない。
 だが、磨けばなんとかなる石は案外多い」


次回は5月30日頃
テーマは「格闘家のYouTube進出から見る『イノベーションの新結合』」
のアップを予定しています。

尿比重測定に見るしたたかなツーサイドプラットフォーム戦略【ONE FC】

シンガポールに拠点を置く総合格闘技プロモーション、ONE FC。発足当初はその明らかにUFCを意識した名前や粗削りな試合内容から烏合の衆のように扱われていたが、今やUFCと選手をトレードをするなど、業界トップのUFCへの立派な対抗馬として成長した。
そのONEが実は独特の階級制度を設けているのはあまり知られていない。単に体重の区切りが違うのではない。独特の計量方法を採用しているため、階級呼称に対して体重が全体的に“上振れ”している。
なぜこんなやこしいことをしているのか。今回はその戦略的意図を考察していきたい。

ONEの階級制

格闘技興行には階級がある。これは体重が重い方が必ず有利という格闘技の性質上、一定の区切りを設けないと競技として成立しないためだ。
階級の区分と呼称は各プロモーションの任意なので、その設定は戦略的な側面も持つ。例えば隆盛を誇ったPRIDEでは-73kg/-83kg/-93kg/無差別という階級が敷かれていたが、これは当時珍しい体重区分であり、選手の移動を制限する障壁(PRIDEに出る選手は外部に流出しづらい、外部からPRIDEに来る選手は対応しづらい)になっていた。
ところがONEの階級制はその中でも奇抜だ。PRIDEから時は流れて現代の総合格闘技業界では北米の階級区分が業界基準になっていることを鑑みると余計にONEは“ズレて”いる。下表を見てもらえれば全体的に“上振れ”していることがわかると思う。

ONE独特の計量:尿比重測定

ONEの階級が上振れしているのは「水抜き」と呼ばれる減量手法を禁止していることへの調整だとされている。

水抜きとは格闘技選手が計量をクリアするために一時的に体重を落とす手法で、サウナや半身浴で体内の水分を強制的に体外に出す行為を指す。計量クリア(主に試合前日)後に水分をとれば体重が戻るので、計量を通過した後に想定通り体重を戻せれば、計量時点よりもかなり重い体重(=有利)で試合に臨める。総合格闘技に限らずボクシングやキックボクシングなどでも一般的な手法である。
しかしこの手法は要するに自ら脱水症状を引き起こす行為に外ならず、健康には全くよくない。やりすぎて倒れたり、回復がうまくいかず病院に搬送されたりといった事故も少なくない。今や一般的な手法になってしまったために皆がやっているが、出来ることならやりたくないというのが選手の本音だ。
そしてこの水抜きへの抑止力としてONEが導入しているのが尿比重測定である。

尿比重測定の思想は簡単だ。水抜きをした選手は尿が濃くなる=比重が重くなる。だから尿比重に一定の基準を設ける。ONEでは体重とセットで尿比重を規定値以下にしなければならず、体重はクリアしても尿比重が超過すれば計量失敗と見なされる。
尿比重は(少なくとも今は)制御法が無いので、クリアのために選手は極力ナチュラルな状態で計量を迎えることになる。結果、尿比重検査があることで選手は過度な減量を敬遠できる、というわけだ。

冒頭に述べた「水抜き禁止への調整」とは、 ONEの階級呼称が、水抜きで体重を作る選手の当日の体重(=リカバリ後の体重)を想定して設定されている、という意味である。

尿比重測定のリスク

既述のように選手はできることなら減量はしたくない。健康に悪い(というか危険)からだ。それでもこの手法をこれまで排除できなかったのは、世界中のほぼ全ての選手が計量後の体重リカバリを念頭に置いて階級を選択するため、自分もそうしないと同等条件の相手と戦えないからだ。
そう考えると尿比重測定は、 全選手に平等にナチュラルシェイプでの計量を促すという点で秀逸だ。自分がナチュラルシェイプでも相手だけが水抜き→リカバリしてくると体格ハンデを負う、という問題が解消されているため、選手も同意しやすい。 なかなかの妙案と言える。

だが一方で興行の観点から考えるとこの尿比重測定はリスクが大きい。
まず尿比重もセットでクリアせねばならないということは、もし選手が計量に失敗した場合、 試合不成立(=試合をしない。最も観客が落胆する)の可能性を高めてしまう。普通は計量に失敗すると、一定時間を与えられ、その間に動いて汗をかくことで追加の水抜きをして体重を作るのだが、尿比重に規定があるとその手が封じられ、ほぼ打つ手がなくなるからだ。
また主流に反した規定であるため選手の新規参入を妨げる。水抜きをうまく活用している選手も世には多くいるわけで、そんな選手にとってはこの規定はリスクでしかない。
更には単純に費用もかかるだろう。曲がりなりにも医療機関に、しかも特注で出すのだろうから、その費用を安く見積もることはできない。

ONEは何故それほどのリスクをとってまでこの尿比重測定を導入しているのだろうか。「選手の安全(健康)を優先する」…確かに正論だが、それだけでここまでのリスクをとる殊勝な話だろうか。ボランティア団体じゃあるまいし。

ここで思い当たるのが「ツーサイドプラットフォーム」である。

ツーサイドプラットフォームとは

ツーサイドプラットフォームとはビジネスモデルの1つで、2つの異なる集団を繋ぐビジネスをする事業者が、意図的に片方の集団を優遇し数を増やすことで反対側の集団に対する価値を高め、プラットフォーム全体の価値を増幅していくものを指す。
文章で表現すると堅苦しいが、実はこれは「お見合いバー」を例にとるとわかりやすかったりする。

お見合いバーの仕組みは大体こうなっている。;
・女性は無料ないし割安でバーを利用できる。
・男性は割高な料金でバーを利用する。
・店は男女の出会いを促進するような運営をする(席替え、マッチング、個人情報管理など)
この不公平なシステムがなぜ成り立つのか。ポイントは女性に対する「無料ないし割安」という優遇措置が価値の増幅の足場になっていることだ。
女性を優遇することでまず女性がバーに集まる。女性が集まるということは男性からすれば素敵な女性と出会える確率が高まる。よって男性は割高でも料金を払う。男性が増えてくれば女性はますます店に行く。そして割高を承知で行く男性も増える。…といった具合で価値の増幅を図るのがツーサイドプラットフォームである。
もし仮にこの店が男女の料金を平等にしていたとしたらどうだろうか。来店動機に訴えるのは料理などストレートな方法になり、集客効果の増幅は期待できない。どちらがお見合いバーとして流行るかは自明だろう。

蛇足。いかにも簡単に見えるツーサイドプラットフォームモデルにも注意しなければならない落とし穴がいくつかある。その1つが「優遇サイドの設定」である。
優遇するサイドはどちらでも良いわけではない。集客の起点になるサイドをどちらにするか、見極めた上で優遇しなければならない。逆に言えば「金をとるべきサイドを優遇してはならない」ということになる。失敗するツーサイドプラットフォームビジネスはこの選択をミスしていることが多い。

ONEが描くツーサイドプラットフォーム

ONEが導入している尿比重測定。そこには選手の安全優先の思想があり、選手にとってもそれはWelcomeだった。
ということは、尿比重測定導入の本質は「選手を優遇すること」なのではないだろうか。確かに金銭的な優遇ではないが、裸一貫で稼ぐ格闘家にとって「身体のダメージを減らせる」は立派に優遇なのではないか。これが今回の話の足場になる。

もしONEが自身のことをツーサイドプラットフォーマーと捉えていたと仮定したら、その眼に見える逆サイドの集団は「観客」である。
ならば選手を優遇することによって観客の価値は上がるだろうか。答えはYesだ。「出場選手層が厚い」ことは観客にとって価値であり、プロモーションそのものの価値を高めることになる。
従ってここに「ONEが尿比重測定を導入しているのはツーサイドプラットフォームを構築したいから」という推論が立つ。

私が推測する、ONEが描くツーサイドプラットフォーム像はこうだ。
まず独特の軽量方法である尿比重測定を頑として採用することで、選手に対し低リスクで試合ができると優遇する。それを目指して選手が徐々に集まってくる。するとONEへの出場選手層は厚くなるし、有名選手も移籍してくるようになる。試合のレベルも上がる。すると観客はどんどんONEを見たくなる。有名選手や応援したい選手が増えることは観客にとってのONEの価値を上げる。そうなれば資金力もネームバリューも拡充され、在野や他団体の選手もONEに目を向けるようになり、尿比重測定に伴う健康リスク低減も相まって、ONEで戦う選手がまた増える。すると観客もまた増える。…といった具合である。

実際ONEは尿比重測定の導入のみならず選手の医療サポート体制全般に定評がある。複数の日本人選手が、試合後の病院治療の手配の周到さに感謝するコメントをしている。 日本と比べても良いと言わせるくらいなので相応のコストをかけているのだろう。 となればONEは選手の安全や健康に戦略的に投資している可能性が高い。尿比重測定がその一環だとしても何らおかしくないだろう。

なぜツーサイドプラットフォームなのか

ではなぜツーサイドプラットフォームなのだろうか。世の中には数多のマーケティグ戦略があるし、ショーイベントとツーサイドプラットフォームの組み合わせはメジャーではない。なのにONEはなぜツーサイドプラットフォームを採用したのか。
その答えは現在の総合格闘技界の市場環境にあると考える。具体的には「選手の供給過剰」と「チャレンジャー不在」である。

1)選手の供給過剰

総合格闘技の業界トップはアメリカのUFCだ。メインカードの前に前座部門を(ナンバーシリーズなら2段階も)設ける大会を月に複数回開催できるのだからとんでもない選手層の厚さである。UFC出場経験ありというだけで他団体で推されるほどにブランド力も強い。パイオニアが全力疾走し続けた結果だ。
ところがそのUFCとて所属選手の処遇には悩まされている。理由は簡単だ。選手が“つかえて”いるのだ。

UFCの興行はメインマッチを頂点に概ね全12~13試合で組まれる。仮に13試合で計算すると1興行あたりの出場選手は26人。年間30大会開催するとして年間のべ780人が試合に出場することになる。
こう聞くとかなりの選手を捌けそうに聞こえるが、実は違う。まず選手は年間に2~4試合する。つまり1年間で試合に出るのべ780人はその1/2~1/4の人数で構成されている。間をとって1/3なら260人しかいないことになる。
これでもまだ多そうに感じるなら階級の概念を思い出してほしい。UFCでは男子8階級+女子4階級=計12階級を設けている。従って260人と言っても1階級当たり平均21.66人しか選手を抱えられないことになる。
これは少ない。日本だけでも総合格闘技ジムは3桁はあるだろうに、世界中のジムからの選手の“供給”を捌くには到底足りない。毎月複数回の大会を開けるUFCをもってしても、だ。

つまり総合格闘技業界は、業界トップのUFCが非常に強い地位を築いている一方で、選手の供給過剰に陥っており、有名・有望な選手でもUFCからリリースされたり、非UFC系でも十分強い選手が在野にいる可能性が高い。そのため選手にとって魅力的な条件を提示することは、大物を獲得できる可能性を上げる。従って選手優遇を起点とするツーサイドプラットフォームはこの環境をうまく利用できる妙手と言える。

2)チャレンジャー不在

ここで言うチャレンジャーとは「コトラーの競争地位戦略」を念頭に置いている。これは簡単に言うと;
・ある市場の中でプレイヤー企業は4つに大別できる。
・1つ目は「リーダー」。市場を牽引し、その市場の基準や定石を作る者。基本的に1社。
・2つ目は「チャレンジャー」。リーダーに挑む対抗馬。リーダーと同じ市場を狙うが、リーダーがやっていない戦略を打つ。
・3つ目は「ニッチャー」。リーダーと同じ戦略をとるが、リーダーの手が及んでいない特殊または小規模な市場を狙う。
・4つ目は「フォロワー」。戦略も市場もリーダーのコピー。独自性もプライドもあったものじゃないが、オコボレGetに徹するため資金効率が良い。

総合格闘技業界において現状のリーダーは間違いなくUFCである。そしてそれ以外の団体に有力なチャレンジャーがいない。2番手Bellatorや3番手PFLはいずれも「UFCみたいなこと」で二匹目のドジョウを狙うフォロワーだ。日本のRIZINはやや路線が違うが展開がグローバルではないのでせいぜいニッチャーだろう。つまりこの市場にはプレイヤーはたくさんいるがチャレンジャーが不在だった。
従ってグローバル展開をするONEがチャレンジャーとして振舞う覚悟を決め「UFCと違うこと」をやることは、理に適ったこととして市場に歓迎される。具体的には思惑通りに目立つ地位を築くことができる。ONEのツーサイドプラットフォーム構築にはこういった市場環境も影響している。

ONEの課題

このようにツーサイドプラットフォームで合理的に事業を進めているONEだが、その戦略は決して盤石でも万能でもない。選手優遇起点のツーサイドプラットフォームで高められる価値には限界があるからだ。
理由は単純。UFC同様、早晩選手を捌ききれなくなるため。
従って有力・有望な選手がある程度集まったら、違う戦略にシフトしていく必要がある。

では違う戦略とは何だろうか。それはUFCが打てない施策を有効に打ち、名実ともにUFCへのチャレンジャーになることである。
キイになるのはUFCはじめ世界の多くの団体が採用している「ユニファイド・ルール」だ。詳細は割愛するが、現在アメリカで総合格闘技の興行を打つにはこのルール(試合形式)に則らないといけない。そしてそのルールを作ったのは他でもないUFCだ。UFCにとってユニファイド・ルールは生命線でもあり呪縛でもある。ONEはこのユニファイド・ルールの裏をかくのが上策だろう。
そうして見ると、ONEがやっている「興行ごとにリング戦とケージ戦が混在」「オープンフィンガーグローブを付けたキックボクシング部門の挿入」は理に適っているように見える。

ONEはかつて確かに烏合の衆だった。しかし今となっては他社ではなかなかできない大胆な打ち手でチャレンジャーになろうとしているのも事実。そしてそのキイとして周到な事業戦略が垣間見えるように思う。というのが今回の話。
格闘技もビジネスも原則として頭のいい奴が勝っていく。これからのONEの施策に注目したい。