格闘家のYouTube進出に見るイノベーション創出

格闘家のYouTube進出が止まらない。ここ半年ほどで実に多くの国内選手がこぞってYouTubeデビューを果たし、それぞれのテクニックや日常などを投稿するようになった。
実際のところこれは格闘技に限った話ではなくスポーツ界、特にマイナースポーツ全般に共通して言える。コロナ禍によって時間が余ってしまったことや収入源の途絶が後押ししたことは明らかだ。

ところがこのYouTube、本業によって知名度が高い人でも、それを以てエスカレーター式に成功できるかというと、そうでもなさそうだ。YouTubeで人気を獲得するには、何か違うアプローチが必要なのだ。
今回はこの格闘家のYouTube進出について、現状を確認しつつ、戦略を考えていきたい。

YouTubeでの「成功」とは?

スポーツ選手のYouTube進出の目的は基本的に副収入の獲得だが、YouTubeの報酬形態は単純なようで複雑だ。概説すると広告の表示回数やスーパーチャット(投げ銭)の総額ということになるが、詳細は公開されていないし、バイトの時給のような比例計算でもないようだ。従ってYouTubeで得られる収入は、直接的に定量化できないので、客観的に成否を測る指数に使うことは難しい。

なのでここではYouTubeでの成功をチャンネル登録者数で測りたい。
動画の再生回数という指標もあるのだが、これだとと古参YouTuberの方が投稿動画の数が多さから新参よりも有利になり、土俵が不平等な比較になる。チャンネル登録者数であってもそのバイアスは働くが、いくぶんマイルドだろうし、単に動画を見るよりも一歩進んだアクション(登録)の数という性質を鑑みても、この数字で議論する方が実態に近いだろう。

格闘家のYouTube進出の現状

「格闘技」にタグ付けされているYouTubeチャンネルから、登録者数の多い順(2020年5月時点)に25個ピックアップしたものが下表である。
ここからわかることはシンプルで、「朝倉未来(あさくら みくる)」の突出である。

朝倉未来は日本の格闘技プロモーション『RIZIN』を主戦場にする総合格闘家だ。一目してわかる通り1人だけ100万人を軽く超えている。第二位の「KAI Channel」は朝倉未来の実弟・朝倉海(かい)のチャンネルだが、実にダブルスコアだ。また更に下位にあるチャンネルを見ると選手個人はおろかプロモーション(団体)や企業のチャンネルすらも押さえつけての堂々1位。まさに圧倒的な強さと言える。

朝倉未来のチャンネルの強さは格闘技の枠に留まらない。サッカーや野球を含めたより広範の「スポーツ」というタグ付けで順位を見ても、直下にいるJリーグ公式チャンネルをやはりダブルスコア(54.9万人)で押さえて堂々1位。ちなみに個人チャンネルで朝倉未来に続くのはダルビッシュ有の49.5万人だ。

更に驚くべきことに朝倉未来には「サブチャンネル」が存在する。サブチャンネルとは自身の本来のチャンネルとはやや嗜好の違う動画を投稿するためにもう1つアカウントを設けて開設するチャンネルのことで、朝倉未来の場合は加工度がやや低く緩い雰囲気の動画を投稿している。そのサブチャンネル「ふわっとmikuruチャンネル」にすら20.8万人の登録者数がいるのが朝倉未来なのだ。

従って格闘家のYouTube進出の成功のキイは、突出した強さを誇る朝倉未来のパフォーマンスを分析することで見えてくる。

朝倉未来がやっていること

朝倉未来の名をYouTube界で一気に押し上げたのは「喧嘩自慢との対決」シリーズだ。街の喧嘩自慢に自ら声をかけ対戦を求め、まず本当に来るか、来たらどのくらい強いのか、身を以て体験しようというものだ。街でたむろする“活きの良さそうな”少年たちにまるでスターバックスにでも入るかのようなカジュアルさで声をかけ、本当に集めて戦ってしまうというヤンキー漫画顔負けの展開に、多くの視聴者が反応した。
また全般的によく見られるのがいわゆる「ドッキリ企画」だ。自分の周囲と示し合わせて朝倉未来自身や周囲の人を驚かせ、その反応を見るというものだ。その中には自身のアンチを呼んでその眼前に現れるなど、肝の据わったものも含まれている。
そして現在最も視聴回数が多いのは「シバターをガチでシバく」という動画だ。これは人気YouTuberシバターとのコラボ企画で、シバターから対戦を申し込まれた朝倉が、文字どおり殴り倒すという内容だ。

この内容からわかることは、朝倉未来の動画が「典型的なYouTuberの手法を踏襲」していることだ。
いわゆる「やってみた」系の動画は人気YouTuberの動画のまさに典型だし、多くの人にとって「やったことがないのでどうなるのか知りたい」と思わせる適度なテーマ設定もYouTube動画の定石だ。ドッキリ企画などはYouTuberの常套手段だし、コラボ企画はYouTubeに限らず顧客層の拡大のためによくやられる手法である。

つまり朝倉未来のやっていることは、一見するとニュータイプの若者が革新的な発想と行動力で新しい可能性を切り拓いたかのように見えるが、本質的にはそこに突飛さはなく、前例のある典型的手法をフォローしているに過ぎない。

イノベーション=「新結合」

このように言うとあたかも朝倉未来が実は二番煎じのつまらない奴のように聞こえるかも知れないが、そこは明確に否定したい。なぜなら、これこそがイノベーションだからだ。

イノベーションという言葉は日本では多くの場合「技術革新」と訳され、世界の常識が一変するような新技術の登場を想像しがちだ。古くは火薬や羅針盤、少し前だと内燃機関やインターネット、いま可能性があるものならiPS細胞とか、そんなところだろうか。
しかし、イノベーションという言葉を唱え始めた経済学者のヨゼフ・シュンペーター(1883-1950)は、このイノベーションについて、必ずしも新しい科学的発見に基づく必要はないとしつつ、その本質を「新結合」と述べている。
曰くイノベーションとは“新しい組合せ(英訳:New Combination → 新結合)”によって生まれるもので、その対象は製品や技術のみならず販路・調達・人事など多岐にわたり、最終的に市場(消費者)にとって目新しい価値をもたらすものであれば良い、としている。シュンペーターはこのイノベーションを経済活動の原動力と位置付け、断続的に起きることを奨励した。

この考え方は日本のタピオカブームに当てはめるとわかりやすい。2019年に若者の間でタピオカがブームになったが、30代以上の多くの人にとってタピオカは「今更?」と思うほど新鮮味のない過去の商品だったはずだ。それが不死鳥の如く再度ブームを巻き起こしたのは、SNSとの新結合に他ならない。タピオカという既存中の既存製品と、SNSという(比較的新しくはあるが)既存の販路とが結合したことで、新しい経済活動を生んだ=イノベーションを起こした。
「何の技術革新も起きていないが、こういうのがイノベーションなんだよ」シュンペーターが生きていたらきっとそう言ったことだろう。

この観点で朝倉未来のチャンネルを見ると、「格闘家」としてのブランドや能力を「動画視聴者(非格闘技ファン)」という市場と組み合わせている。立派なイノベーションである。YouTubeにとって典型的なアプローチで攻めたからこそ発揮された新結合であり、二番煎じなどと誹りを受けるものでは決してない。

市場拡大マトリクスに見る朝倉未来の合理性

朝倉未来のYouTube進出について、既存の概念同士を組み合わせたというコンテンツ面での合理性は説明した。ではその“売り方”、つまり戦略はどうだろうか。ここではそれを「アンゾフの市場拡大マトリクス」に照らして考えたい。

アンゾフの市場拡大マトリクスは、事業を「製品」と「市場」の2軸で区切り、それぞれの象限で活動することの意味を明示したものである。

詳細は割愛するが、前提としてこれは既存事業を足場に事業を拡大するアプローチを念頭に置いている。また各象限での事業活動に戦略としての優劣があるものではない。唯一右下の「多角化」は、新しいことづくめなので難易度が高いとされているが、だからといって「止めろ」とはアンゾフは言っていない。各象限の意味を把握した上で、事業の実情に合わせて個別に判断しろということだ。

次に、格闘技界から見た市場観をアンゾフ・マトリクスに落と込んだものを見てみたい。この時の主語は「格闘技の試合(ファイトマネー)や指導での収入を主にしている人(選手)」と考えて欲しい。

ここで重要なポイントは「格闘技の既存市場は小さい」ことだ。格闘技はマイナースポーツであり、野球やサッカーと比べると世間一般の関心は低い。つまりファンが少ない。従って市場規模が大きくない。
その前提でマトリクスを俯瞰すると、まず朝倉兄弟以外の多くの格闘家が、規模が小さいはずの既存市場向けで活動していることがわかる。格闘家のYouTubeでよく見られるのは技術解説、試合の振返り、減量の工夫などだが、アンゾフ・マトリクスに照らして考えれば、どれも「戦い」の範疇の商品を、格闘技好き(せいぜいスポーツ好き)な顧客層に向けて発信している。まさにマトリクスの左上「市場浸透」だ。また一部では日常風景やフィットネスへの応用、格闘技術を使ったおもしろ動画なども見られるが、積極的に他市場を狙ったものとは言い難い。位置づけとしては右上「新製品投入」だろう。
これらの戦略自体が悪いとは言わないが、格闘技の場合はとにかく市場が小さいことを考えるべきだ。例えば競技人口が多い陸上競技の場合、桐生祥秀(100mで日本人初の9秒台を達成)のチャンネルは、市場浸透路線の動画しかほぼ投稿していないのに登録者数は6万人近い。同路線の為末大(400mH世界陸上メダリスト)も開設わずか1週間で登録者数が8000人を超えた。このような競技人口による“地力”は、残念ながら格闘技にはない。従ってYouTubeで大きく成功するためには下段の象限、即ち新市場に打って出るのが合理的だ。

だがこの下段=新市場への進出は冒険要素が大きいハイリスクな選択だ。とりわけ右下の「新製品×新市場」については、それをYouTube上で実施することは至難の業だろう。よって新市場で成功しようとすれば、狙い目は「既存製品×新市場」、すなわち格闘家としてのブランドや能力を、格闘技ファンではない一般的なYouTube視聴者に持ち込むことが必要になる。

ではその新市場での事業を極力スムーズに運ぶ方法はないだろうか。その方法の1つが、自身の製品をその市場の既存製品に似せることだ。既存のYouTube人気動画と似たような作り・企画の動画にすることで、一般的なYouTube視聴者は「いつも見ているカテゴリへのニューカマー」と見なすのだ。郷に入りては郷に従え。

おわかりかと思うがこれは朝倉未来がまさに実践していることだ。
実際朝倉未来は自身の著書の中でも「YouTube進出時には多くの人気YouTuberの動画を見て傾向を分析した」と言っている。やはり意識的に既存製品に似せていたのだ。彼がそれをこのアンゾフ・マトリクスを用いて考えたかどうかは不明だが、合理的な戦略だったと言えるだろう。

ちなみに「戦略(Strategy)」という単語は今や当然のように経営の世界で使われているが、言うまでもなく本来は軍事用語だ。そしてそれを最初に経営の世界に持ち込んだのがアンゾフ(1918-2002)だったりする。
戦いの世界からビジネスにやってきた朝倉未来のことを、同じく戦いの世界から用語を流用したアンゾフのフレームワークで分析するというのは、なかなか感慨深い。

朝倉未来の踏襲ではもう通用しない

朝倉未来の着眼や戦略は優れていた。では朝倉未来と同じ切り口で同じような動画を投稿すれば、同様にYouTubeで成功できるのだろうか。

答えはNoだ。それこそ二番煎じだからだ。

さっき朝倉未来のアプローチは二番煎じではないと言ったじゃないか、と言われそうだが、ここは一度イノベーションの定義に立ち戻って欲しい。イノベーションとは市場(消費者)に新しい価値を提供するだ。既にある価値を同じ市場で展開することはイノベーションではない。
またこれには実例もある。朝倉未来の実弟・海のKAI Channelは、未来自身が「レクチャーした」と豪語するだけあって動画の路線がかなり似ている。にも拘わらず登録者数が未来の半分以下である。かなり高いクオリティのものであっても半分以下なのだから、ここに更に同路線で攻め込んでも大した成功は見込めない。「朝倉兄弟みたいなやつのパチモンでしょ?」と辟易されるのがオチだ。
唯一、もしこの市場(一般的なYouTube視聴者)が今も大きく伸びていて、朝倉未来による供給が需要を満たしていない(更新がとても遅い、アクセス集中して見れない等)場合は、二番煎じであっても価値がある。多少質が悪くても満たされていない需要がそれに食いつくからだ。だが現状そうなっていないのは言うまでもない。

従ってこれからYouTubeで成功したい格闘家には、朝倉未来と“似て非なる戦略”が求められる。

これからの格闘家YouTuberは何をすれば良いか

では似て非なる戦略とは何だろうか。そこには無限の考え方があると思うが、個人的には朝倉未来のチャンネル登録者の顧客層が突破口になるように思う。
朝倉未来は自身の著書やインタビューでしばしば「登録者の9割以上が男性」と述べている。従って女性市場はほとんど取り込めていない。ということは格闘技による女性市場への訴求は未着手の狙い目である可能性があるのだ。

一方で女性に人気があるYouTube動画カテゴリは「料理」と「メイク」と言われている。となると、

「格闘家が教える、絶対に太らない減量スイーツの作り方!」
「女子格闘家が、試合中の汗でも崩れなかった鉄壁メイク教えます!」

こういった動画なんかは可能性があるのではないだろうか。

いずれにせよ朝倉未来の成功要因は;

  • 格闘家or自分という選手だからできることを
  • YouTubeでウケる形に組み替えて
  • 格闘技ファン以外に刺さるように発信する

この3つを脳裏に“ピン留め”した上で考えれば、色々なアイデアが出てくるのではないだろうか。

終)格闘技に新結合を

今回は、イノベーションは既存要素の組み合わせであること、格闘技界においては既存製品を新市場に持ち込むのが有効であること、その好例が朝倉未来であること、を述べてきた。

何度も言うように格闘技界は狭い。選手はみんな徹底した勝負の世界に身を置いて壮絶なトレーニングをしている稀有な人たちなだけに、狭い業界で世界が完結してしまうことは色々と勿体ない。ぜひ朝倉未来のように、さりとて二番煎じではない方法で、イノベーションを生み出せる選手や団体が今後増えて欲しいと思ってやまない。

格闘技を死ぬほど頑張った人が、格闘技以外の場所で大きく評価されることは、結構幸せなことだと思うから。

ちなみに、そう考えると私のブログ記事も格闘技と経営理論の新結合ということになるが、残念ながらそこに価値があるかはまだ不明。だから一連の投稿にはあまり戦略性を求めないで頂ければありがたい。
気長にやっているので、もし何か経済的価値を見出した方がいたら、連絡下さい笑

次回更新は6月10日頃、
『ある柔術家によって国籍への考え方を思い直した話(仮題)』
を予定しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください