例の『令和の大誤審』により議論が過熱しているVAR導入論。個人的な意見。
マジ絶対要らない。てかホント余計なこと言うのやめて。
その理由を書く。
一回一回止まるのがダルい
ロシアW杯がそうだったが、審判が一回一回ビデオ見に行って確認
審判「お前反則!」
観客「ワーッ!」
の一連がいちいち長い。水指されすぎて水中毒で死んでしまうんじゃないかってぐらいダルい。もし自分の応援してるチームがこのせいでいい流れぶった切られたら全力でシステムを恨む。
審判に文句言うのは結局変わらない
VARが導入されたところで「どういったプレーがVAR審議対象か?」は明確になってない(たぶん)。なので、結局審判によってVARを使う頻度は変わってくるはず。つまり今まで
「てめえ今のファールだろ(ゴルァ)」
だったのが、
「てめえ何で今のVAR使わねえんだ(ゴルァ)」
になるだけの話。同じ。
試合の盛り上がりポイントが変わる
残念ながら選手のプレーよりもVARによる判定が1番のハイライトになるような気がする。審判が確認に行っている間息を飲むサポーターたち。
「ざわ。。。ざわ。。」
(暫しの無言)
審判「お前反則!(ちょっとカッコつけながら」
観客「ワーオ!!ヒューヒュー!!ドンドンドン!!」
って絶対なる。
絶っっっっ対になる。
VARが導入されたロシアW杯の時のスポーツニュースで何度審判がVARに向かって走るシーンを見せられたことか。そしてそのうち審判が審議対象と結果についてピンマイクで身振り手振りを交えて説明とかし始めたら、その時はもう「欧米か」としか言えない。欧ではないけど欧を抜くと米だけになってマジ意味不明になるから「欧米か」としか言えない。興行、エンターテインメントなんだから別にいいだろと言われてしまうかもしれないが、選手よりもシステムが目立ってしまうってのは悲しい。伸るか反るか、丁半博打ってのはやっぱ盛り上がるんだが、そこが1番なハイライトになりかねんってのはちょっと。
ファンタジーのない合理的世界への嫌悪
やっぱり、世の中ファンタジーが一定量必要だと思うんです(真顔)。
今の世の中にはファンタジーが足りない(真顔)。
メンバーが、足りない。(井原)
誤審も含めて楽しむのも悪くないと思うんですよ。てか、はけ口がないと負けた時に言い訳ができない。「あのジャッジのせいで負けた」、と。。それは精神衛生上非常に悪い。何だかんだ審判の皆さんはサポーターたちの精神衛生を保つために誤審をしてくれているのではと思い始めてきた。。
まあそれは冗談として、マラドーナの神の手を「あっ、ハンドです」って機械が判断するのもねえ。完全なる誤審だけど、あの後の6人抜きも含めて伝説になっているわけで。プロレスもそう、興行にはファンタジーがいる。
しかし
やっぱどう考えてもあの誤審はダメだな。。ゴール判定機能だけは導入しようということて無理矢理締めます。おやすみなさい。