足を止めたら打たれるのだ

亀田一家がJBC(日本ボクシングコミッション)を相手取った裁判で、東京地裁は1月末、JBCに対し亀田一家へ4,500万円を支払うよう命じる判決を下しました。
この裁判は亀田一家がJBCから不当な圧力を受けたとして訴えていたもので、その言い分が認められたことになります。
JBCの運営はこれでかなりまずくなるようです。一言で言うと「支援がなければ破産」。
なんでも現金相当物が600万円しかないのだとか。まじか。

JBCの危機的な資金繰りについては専門に書かれている記事があるのでそちらに譲るとして、なぜこうなったか。
それは「市場環境の変化を無視した」ことだと思います。

日本におけるボクシングの歴史のうち、2000年代前半は注目すべき時期です。
スポーツの人気度の一端は競技人口の多さに現れますが、ボクシングではプロライセンス登録者数がその指標と言えます。
その登録者数が最大だったのが2004年で、約3,600人のプロ登録者がいました。これは現在の1.5倍以上に当たります。
単年でのプロテスト受験者数が最大を記録したのも2003年でした。
つまり2000年代前半はボクシング人気のピークだったと言えます。

この時ピークを迎えられた原因として特筆すべきなのはリアリティショー『ガチンコファイトクラブ(1999~2003)』の存在です。
ガチンコ~の直前から同時期にかけて同じくリアリティショーの『ASAYAN(1995~2002)』があり、モー娘。を輩出する成功を収めていますから、リアリティショーの手法を格闘技に応用した新結合=イノベーションがガチンコ~だったと言って良いでしょう。
つまり2000年代のボクシング人気は、もともと競技として十分な知名度があったところにリアリティショーの手法を上乗せしたことで得られたものでした。

しかし、ここからがポイントなのですが、その2000年代前半の時点でボクシングの立場は盤石ではありませんでした。
強力な競合がちらついていたからです。K-1とPRIDEです。
K-1はもともと多数派に分裂してしまっていたキックボクシングを地上波コンテンツ向けに再編したものであり、ボクシングの目線から言えば弱体化していた競合が舞い戻ってきたような存在でした。
一方のPRIDEは新興勢力で、倒れた相手を追撃してぶん殴っていいという強烈なインパクト・非日常性を持っていました。
ボクシングの失策は、ファイトクラブは良いとして、その時既に出現していた競合に対しては無策だったことです。

競合関係という視点で見るとボクシングの旗色は悪いものでした。
まずK-1もPRIDEもはいずれもボクシングより“リアル”に見えました。簡単に言えばより喧嘩に近かった。最強を追い求める少年漫画的な世界観がよりフィットするコンテンツはルールに制限が少ないK-1やPRIDEでした。
またどちらの競合も戦略としてスターシステムを投入していました。スターシステムとは特定のスター選手を擁立して人気を牽引させる手法です。これはスターの発掘作業や発掘後のスターへの負担が大きい諸刃の剣なのですが、ハマれば効果は絶大です。そしてK-1は外国人選手や魔裟斗、PRIDEは桜庭和志というスターを見事に発掘し推してきていました。
そもそも「格闘技好き」というニッチな市場に対し競合が2つも出現したら単純計算でも市場が三分されてしまうのですから苦境は当然です。よってこの時のボクシング界は死に物狂いで地位を確保せねばならない局面にありました。
ガチンコファイトクラブはその対抗策の1つとしても機能しましたが、コンテンツとしての刺激性に勝るK-1やPRIDEに押されていったことは明らかでした。
そしてK-1やPRIDEに対し明暗が分かれ始めた頃に現れたのが、強烈な個性を持つ亀田一家でした。

亀田一家の“活躍”については割愛しますが、大いに物議を醸しました。
今で言うアンチがたくさんついたわけです。
パフォーマンス偏重だ。KOできてないじゃないか。 実力が怪しい。 …。
色々な声が挙がっていました。

しかし、ここで「そもそも」論に戻ってみると。
そもそもスポーツビジネスとは衆目を集めることが価値なのです。ショービジネスだからです。
その観点で亀田一家のやってきたことを振り返ると、いずれも衆目を集めることに繋がっており、行動と目的とにアラインメント(整合性)がとれています。

もっと深掘りします。
アンチ亀田一家の根拠の1つはガラの悪さですが、ガラの悪さを足場にメディアに出て衆目を集める人は格闘家でなくともたくさんいます。
また判定決着の多さも根拠でしたが、勝たなければ衆目を集められない以上、結果的に判定決着が多くなるのはあり得る話です。
実力への疑問符も、ランクインのために弱い相手を呼ぶのは常套手段ですし、王座挑戦権を売買するのは「オプション」としてボクシング界でも許されている行為です。

つまり亀田一家は、確かにそれまでにないニュータイプの劇薬に一見みえましたが、冷静に考えればそうでもなかった のです。
従って当時のボクシング界は、亀田一家に対して支持に回ることもできたし、不支持に回ることもできたのです。
その選択肢がある前提で当時の市場環境=K-1やPRIDEがインパクトとスターシステムで攻め込んできていることを考えれば、ボクシング界がとるべき戦略は「亀田支持」だったと考えます。

しかしJBCはじめボクシング界は最終的に「亀田不支持」を選択しました。
その理由は色々あるのでしょうが、根本的には「JBCやボクシング界が考えるボクシングブランドに合わない」だったことは容易に想像がつきます。
ひたむきで地道な求道者。それが当時も今もボクサーの理想像であり、世間から求められている(とボクシング界が思っている)ものです。
そういう意味ではボクシング界は昔から貫いてきたポリシーを再度貫いたにすぎません。
しかしこの選択は悪手でした。競合が存在しない市場においてはブランド価値の上がる良い打ち手ですが、競合が存在している市場においては単なる独りよがりだからです。

このように言うと反論として「今の村田諒太や井上尚弥を見てみろ。彼らは亀田一家のような過剰な煽りはしない。実直でひたむきなチャンピオンであり、その選手が今人気を牽引しているじゃないか」という意見が出てくるでしょうが、その意見は適当ではないと思います。
まず彼らは戦績が異常にずば抜けています。試合だけで魅せられる超弩級の選手がたまたま出てきただけです。井上尚弥は取り上げられても一緒に試合をした伊藤雅雪はろくに取り上げられていません。
また彼らは自身でメディアに出てPR活動もしています。亀田一家ほど強烈でないにしろ、本分である練習時間を削って出ているのですから、やっていることは同じです。
村田諒太や井上尚弥を推す施策には再現性・継続性がなく、かつ亀田一家へのアンチテーゼでもないのです。

何が言いたいかというと、まじめにひたむきに頑張っていても、周囲を見ていないと環境の変化に対応できず競争に負けるということです。
これは何もボクシングに限った話ではありません。日本の製造業の多くががまさに直面している問題と言えます。
もしJBCやボクシング界が「市場環境が変わった」と認識していたら。ゲームのルールが変わり、有効な施策が変わったと認識できていたら。亀田一家が従来の路線と対極にいたとしても、それを承知で活かす手を打てたのではないでしょうか。
それができずに劇薬として疎んじた結果が、この4,500万円なのではないでしょうか。

足を止めたらいけないのです。まとめて打たれてしまいますから。

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